将来の夢

子供の時には沢山夢があったように思う。私だけではなく、一般的に子供時代は夢も希望もあり、なんでも可能だったようだ。悲しいことに年を取るにつれて、だんだんその夢はシャボン玉が消えるように消えていき、最後にやりたくないことをやり、見たくないものを見て生きている自分を発見する。やりたい事もないし、欲しい物もない。そんな人間はどうやって生きているのだろうか。

私の場合、ずっと一途だったような気がする。私は三歳のときに医師になると決め、ずっとそれに向かって走ってきた。考えてみると読む本も、やる事も、聞く事も話す事もすべて医師になるためだったように思えないでもない。もともと私は性格的に医師には向かないのだ。ぼんやりしていて決断力がない子供。頭の回転も速い方じゃないし腹が据わっている訳でもない。医師は決断力、頭の回転の速さ、などが要求される。あのままいっていたら文学部にいきたいと思っていた事だろう。また成績も抜群に良かったという訳ではないだろうからなれなかった可能性大なのは一目瞭然である。

でも私は何を間違ったのか医者になりたいと思ったのである。私は医者として必要な素質を持ち合わせていなかった。それでは自分を変えるしかない。そこで私は自分を変えていった。ゆっくりと動く自分から早くて目的を決めてそれに向かって戦車のように進んでいく自分に変えたのである。目的のためならコストをいくら払っても物怖じしない自分になろうと思った。

高校四年生の時はかなり辛かった。私だけまだ受験中だったのでほかのクラスメートがダンスに行ったり、映画に行ったり遊んでいる時に私は問題を解いていたのである。友達はどんどん消えていくし夏休みは夏休みでみんなが遊んでいる時に私は夏期講習を受けていた。考えてみるとこの夏休みは私にとってはじめて何もしなくて良い、本当の夏休みである。そしてたぶん最後になるだろう。私の受験はまだあるのである。

そんな時に簡単に医師になれると思っている人を見ると腹ただしく思ってしまう。私はクラスメートや友達よりもコストを払ってきたのだ。みんなが遊んでいる時に私は机で問題を解いていたのだ。遊んでいるやつと勉強した私が同じ所に行ったら私の払ったコストはどうなるのかさっぱり分からない。

ありがたいことに神様はいるらしく、遊んでいたやつはろくでもないことになった。学費を払う為に若い十八の美空で一千万の借金を抱えたり、聞いたこともないような学校に行ったのだ。

欲しい物が大きければ大きいほど、思い付きでは手に入らない。私の学年で医学部にいったやつはもう高校一年で医師になるということが心の中で決まっていた。それだからこそ準備ができたのである。

ちなみに医師になる道は長い。計算してみたら私が思い通りのところに行くまでにあと17年ある。17年といえば私が生きてきた年月である。五つのとこに学校に入ったからまだ半分も行っていないのである。

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